2013年9月19日木曜日

第2回シンポジウム「高野文化圏の多様性を考える」の報告


9月17日(火)高野山大学において第2回シンポジウム「高野文化圏の多様性を考える」を開催しました。前日の台風の影響で講師の峰岸純夫先生には、当日東京都日野市からおこしいただきました。シンポジウムが13時から開始ということで、ほとんど始発に近い時間に出発されたようです。乗り継ぎもうまく行き、予定通りに到着されました。



当日の天候は快晴でしたが、高野山は台風の影響で前日は浸水と崩落があちこちであったとのことです。風がなかったので、木が倒れる被害はなかったようですが、このような水害は近年経験のないものだそうです。周辺の地域でも大きな被害が出たようです。九度山町椎出付近では冠水のため通行止めとなっていましたが、18日に通過した折には、不動谷川と丹生川が交差する付近は、被害が生々しく残っていました。ドライブインはシャッターが壊れ、中も水害にあったようで、片づけをされていました。また、ガードレールに流木などが溜まっているという状況で、川側のガードレールは水圧と流木とで曲がっていました。被害に遭われたみなさんにお見舞い申し上げるとともに、早い復旧をお祈りします。


シンポジウムは予定の通り、高野山大学におこなわれ、20名程度の方々に参加していただきました。まず森本から高野文化圏の多様性と、さらにその研究をするための資料保存・公開・活用の体制を進める必要があることを報告しました。峰岸先生からは金剛三昧院の多宝塔の建築に安達氏と小笠原氏が深く関係していたこと、さらに深い関係がある関東の寺院についてのご紹介があり、鎌倉幕府と高野山の関係についての報告がありました。さらに宮本佳典先生から高野山周辺地域の信仰の多様性についてのご報告があり、特に六斎念仏や修験についてもう一度見直する必要があるのではないとの指摘がありました。その後、参加者からの質疑応答があり、予定を15分ほど過ぎて会は終了しました。特に高野山の信仰として、真言だけではなく、禅・律・浄土などの仏教諸宗派だけではなく、明神を初めとする神道系の神々が共存していたことが確認されました。他の仏教諸宗派ではある時点での教義の強化によって他の宗派との差異化が進められていきましたが、実際にはどの宗派も初期には多様性を持っていたのではないかということが確認されました。また仏教と神道との関係においても、明治以降の神仏分離によって関係性が薄れていきましたが、もとは神仏習合の形態であり、高野山では現在でも重要な行事は明神の前で執行されているおり、神仏が融和する形態が維持されています。

参加者からは高野山の多様性が人々が高野山を訪れる理由になったことは理解できたが、それの多様性を取り込み、維持できたシステムはどうなっているかとの質問もありました。この質問に答えるためには、今後高野山および周辺地域の資料を研究する必要があるかと思います。高野山が所蔵している資料については、公開が進められてきましたが、膨大な資料量と研究者の不足という問題から資料リストの作成もままならない状態です。今後、研究体制を整えて、研究を進めて行く必要があることを再認識しました。

10月から月1回程度で高野山で研究会を持ちたいと思います。初回は10月21日(月)19時から樹林において行いたいと思います。ふるってご参加ください。


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