2012年10月28日日曜日

第1回ワークショップ報告


高野山会館全景第1回ワークショップを10月23日(火)に高野山会館1F第1会議室において5名の参加のもとに開催いたしました。森本一彦「生活文化の再発見に向けて―『高野町史』民俗編を通じて」という報告で議論しました。『高野町史』民俗編の序章を中心として記録されたトピックスを紹介しながら、高野文化圏がどのような特徴を持っており、そこに残された民俗習慣などの意味を検討するとともに、それを記録することがどのような意義があるのかと言ったところまで議論をしました。


第2回ワークショップは11月13日(火)に実施いたします。平日の18時からの開催は参加しにくのではという意見もございましたので、18:30からに変更できればと思っています。

12月22日(土)のシンポジウムについては、現在報告者の交渉をおこなっておりますが、加藤幸治、島津良子、藤吉圭二、森本一彦の各氏の参加の了解はいただきましたが、後1~2名について交渉中ですので、決定しましたら、お知らせいたします。


第1回ワークショップでも社会貢献について提示しましたが、学術的なものだけに限るべきという意見もありましたので、私(森本一彦)の考えを提示しておきます。

私自身が研究を始めたころは、学問は実証性と客観性を重視していましたので、研究対象に対して積極的にかかわることは禁欲的であるべきだと考えていました。まして、研究者が対象地域を変えるなどということは論外だという思いが強かったのです。柳田国男は「経世済民」ということばで学問の社会貢献を主張し、実際に多くの提案をしてきました。今、柳田国男は民俗学者にとって批判すべき先人であるとともに、民俗学の存在意義を示すための大きな資源になっています。民俗学の独自性を「経世済民」に求める民俗学者は多く、その人たちは民俗学が社会貢献できるのだと発言しています。しかし、残念ながら民俗学の成果を社会貢献に活かそうとしている民俗学者は多くありません。

批判的に見ると、柳田国男を消費しながら、民俗学者は生き延びているのではないかと思い至っています。あるときは、柳田国男を批判して自己の主張を正当化したり、あるときは、柳田国男を民俗学のスターとして民俗学の存在意義を説いているのはではないでしょうか。

民俗学者だけではなく、研究者一般に社会への研究の発信や研究の波及が強く求められており、研究費の獲得のためにはそのことを応募の際の申請書に書かざるを得ません。しかし、社会貢献を意識して活動している民俗学者は多くないのが実態です。

先祖祭祀と家の確立―「半檀家」から一家一寺へ (MINERVA人文・社会科学叢書)私の学問についての役割に対する考えも変化しています。2006年に出版した『先祖祭祀と家の確立―「半檀家」から一家一寺へ』(ミネルヴァ書房)には以下のように書きました。

その(学位授与)後、大学で民俗学、日本史、社会学、人類学、日本文化論の授業を担当する機会を得て、多くの人に理解される研究を痛感している。つまり、可能な限りデータ分析した上で、仮説を提示する必要がある。徹底的なデータ分析なしに実証性を重視するだけで仮説提示を忌む研究、社会貢献を主張するにもかかわらず仮説提示しない研究、歴史的背景の究明をしているのにもかかわらず歴史資料を使わない研究などもあるが、学術研究が社会貢献を目的とするながら仮説提示が求められるのは当然であろう。筆者は学術研究の目的は人々にどのように生きるかを提示することであると考えている。実証性は時代によって変化し、研究は再検討されるものだと考えるので、本書では資料と仮説を区別することを心がけた。巻末に歴史資料と半檀家一覧表を掲載したのも、本文を読むやすくするとともに、仮説の検証を可能にするためである。

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