2012年10月22日月曜日

九度山の町並み

10月22日(月)に九度山町史の資料保存とその活用についてお話をお聞きするのに、九度山町教育委員会にお邪魔しました。田口勝教育長と10時にお約束していましたが、少し時間がありましたので、九度山の町を回って教育委員会に向かいました。
車で通ることは何度もありましたが、九度山の町は自動車どうから離れていることもあり、一度も行ったことがありませんでした。高校生の時に真田祭りに行きましたが、自動車道を通って真田庵に行ったために、町並みは知りませんでした。待ち合わせ時間もあるので、すごく古い町並みが残っているとともに、丹生川が紀の川に合流して、島のようになって、少し高くなった絶好の地形になっており、古い家が残っているすばらしい町だと感じました。橋本の町が水害対策という大義名分のもとに家を撤去して、単なる住宅街と化した二の舞にならねばと思いながら、約束時間が近づいたので、半分のところで教育委員会に向かいました。



教育委員会は町役場のある高台に位置しています。自動車道ではなく、旧の道からのぼると、駐車場の前に木造の建物がありました。これも初めて見ました。きっと小学校なのだろうと勝手に想像しました。

教育委員会に行き、教育長とお会いして、資料の保存について説明を受けたところ、使用した古文書はスキャナーで画像データとして保存し、誰もが利用できるようにしているとのことでした。それ以外にも、町史は勿論、文化財報告書などの関係文献についても画像データにしたとのことです。簡単な検索もできるようにしているそうです。自治体史の終了後の処理としては、財政規模を考えると理想的でしょう。さらに真田庵の建築調査や町石道の整備などをしながら、歴史的景観保存地区の指定を視野に入れられているそうです。

 

伊都郡でも自治体史編纂がおこなわれてきましたが、橋本市史は資料のコピーと翻刻原稿を図書館に配架しているという状況でそれ以上のことはありません。かつらぎ町史についてはどのようになっているのかは確認していませんが、総務課が管理していて閲覧には対応してくれるという状況を聞いています。(これについては確認が必要ですので、時間を見て問い合わせをおこなうつもりです。)高野町史は2年後に通史編を出すと、編纂事業は終わり、編纂室も閉鎖されるのではないかと思われます。現在のところ将来的な保存・公開については白紙とのことです。

教育長は次の打ち合わせがあるということで、11時にお暇しました。折角なので、九度山の町を散策することにしました。旧萱野家(大石順教尼の記念館)、松山常次郎記念館、真田庵、対面石、米金などを巡りました。少し早かったのですが、町屋を利用したまちなか休憩所でうどん定食をいただきました。素朴な感じでしたがとてもおいしくいただきました。柿をサービスにつけていただき、旬でおいしかったです。おばんさん2人が接客してくれたのですが、何人かでボランティア的に守をしているそうです。土産をと思い、柿、六文銭せんべい、真田茶などを購入したら、栗持って帰りますかと言うので、もらって帰りました。次回は慈尊院や町石道も行ってみようと思いながら、帰路に着きました。

九度山の町については、九度山まちなかマップをご参照ください。



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