2012年12月22日土曜日

シンポジウム「生活文化の再発見に向けて 」 の報告


 2013年12月22日(土)に高野町中央公民館2F第1会議室においてシンポジウム「生活文化の再発見に向けて―伊都の歴史・民俗・文化」を開催しました。当日は高野山でももっとも深い霧におおわれ、ケーブルカーを上がると、バスの姿が見えず、ヘッドライトでその存在が分かるという様子だったようです。車でも花坂を上がったあたりから濃霧で前が見えない状態でしたが、高野山の町に入ると不思議なことに霧はそんなには深くありませんでした。事前の広報が遅くなったり、悪天候にもかかわらず、20名ほどの参加者がありました。



最初に森本一彦(京都大学)が趣旨説明をした後、「地縁社会と生活遺産」を報告しました。趣旨説明では、伊都地方の自治体史編纂が最終局面を迎えた今、収集した資料の保存・公開・活用が差し迫った課題であり、研究者が伊都地方に来て研究を進めてもらえる環境作りをする必要があることを述べました。
「地縁社会と生活遺産」においては高野町史や橋本市史の民俗遍を執筆する中で住民の方たちから教わったムラや諸集団のあり方について紹介するとともに、伝統文化を古いという理由だけで保存対象とするのではなく、現在の生活にいかに活かしていけるかを考えるべきとの主張をしました。伝統的な生活様式は保存するのではなく、現在の人々によってよい部分は利用していくべきであり、そのような意味で保存を前提とする含みが強い「文化遺産」ではなく。「生活遺産」という用語を使う提案をしました。


次に島津良子さん(奈良女子大学)からは「‘まち’としての高野山上と高野地域 ―高野町史(近代)の仕事を通じて―」が報告されました。これまでの自治体史や研究にかかわってきた経験を通して、京都や奈良のような古代から続く地域においては中世までが注目されており、近世や近代が軽視される傾向があることが指摘されました。このことは、1200年を迎える高野山を中心とする伊都地方にも当てはまることです。しかし、女人禁制の解除をめぐる対応などを事例を紹介されながら、近代の重要性を主張されました。


加藤幸治さん(東北学院大学)からは「茶粥とは何でしょう? ―高野町史の食文化調査から―」が報告されました。これまでの民俗学における食文化の報告については、調理法に重点が置かれており、人々が食事をどのように認識してきたのかの視点が抜けてきたことが指摘されました。茶粥を事例として、同じ地域でも家によって、人によってさまざまな調理法や食し方があることが紹介されました。また、今後茶粥の会のような調査と町づくりが複合するような取り組みの提案もありました。



藤吉圭二さん(高野山大学) からは「学生の町という視点から」というコメントをいただきました。各報告者に対するコメントとともに、高野山が置かれている現状と高野山大学が果たす役割についての説明がありました。藤吉さんのコメントを受けて、各報告者が回答しましたが、その後はフロアーからの意見を聞くという形式で討論が行われました。全体的には、報告者が上から指導するというものではなく、住民の方からいろいろと教えていただくという形式で進められました。シンポジウムというよりは、聞き取り調査の部分もありました。

今回のシンポジウムについては、今後冊子を作成するなど公開できればと考えています。また、今回のような会が今後も継続できればと考えており、その場合にはシンポジウムではなく、タウンミーティングなどの名称が良いのではないかと考えています。

次回のワークショップは、1月22日(火)18:30から高野山会館1F第1会議室で森本が写真や映像などの資料について話題を提供したいと思いますので、ご参加ください。

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